大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和62年(行ツ)119号 判決

上告人

内藤進夫

右訴訟代理人弁護士

岡田義雄

冠木克彦

被上告人

兵庫県

右代表者知事

貝原俊民

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人岡田義雄、同冠木克彦の上告理由第三及び第五について

所論は、地方公務員法(以下「地公法」という。)二八条四項、一六条二号は憲法一四条一項及び一三条に違反するというものである。地公法二八条四項、一六条二号は、禁錮以上の刑に処せられた者が地方公務員として公務に従事する場合には、その者の公務に対する住民の信頼が損なわれるのみならず、当該地方公共団体の公務一般に対する住民の信頼も損なわれるおそれがあるため、かかる者を公務の執行から排除することにより公務に対する住民の信頼を確保することを目的としているものであるところ、地方公務員は全体の奉仕者として公共の利益のために勤務しなければならず(憲法一五条二項、地公法三〇条)、また、その職の信用を傷つけたり、地方公務員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない義務がある(同法三三条)など、その地位の特殊性や職務の公共性があることに加え、わが国における刑事訴追制度や刑事裁判制度の実情のもとにおける禁錮以上の刑に処せられたことに対する社会的感覚などに照らせば、地公法二八条四項、一六条二号の前記目的には合理性があり、地方公務員を法律上このような制度が設けられていない私企業労働者に比べて不当に差別したものとはいえず、また、条例に特別の定めがある地方公共団体の地方公務員と右特別の定めがない地方公共団体の地方公務員との間には失職に関しその取扱いに差異が生ずることになるが、それは各地方公共団体の自治を尊重した結果によるものであって不合理なものとはいえず、地公法二八条四項、一六条二号が憲法一四条一項、一三条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和三一年(あ)第六三五号同三三年三月一二日大法廷判決・刑集一二巻三号五〇一頁、同三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁、同五七年(あ)第六二一号同六〇年一〇月二三日大法廷判決・刑集三九巻六号四一三頁)の趣旨に徴して明らかである。論旨は、採用することができない。

同第四について

所論のうち地公法二八条四項、一六条二号は憲法三一条に違反するという点については、地公法二八条四項、一六条二号に基づく失職の効果は禁錮以上の刑に処せられたことにより発生するものであって、任命権者による行政処分により発生するものではないから、行政処分における公正な手続の要請はこれを考慮する余地がないのみならず、禁錮以上の刑に処せられる場合には厳格な刑事訴訟手続のもとで被告人に防御の機会が与えられているのであり、禁錮以上の刑に処せられたかどうかの点につきあらためて防御の機会を与える必要がないことなどからみれば、所論憲法三一条違反の主張は、前提を欠くものと解するほかはない。また、地公法二八条四項、一六条二号が憲法一四条一項に違反するものでないことは前記判示のとおりであるから、所論のうち憲法一四条一項違反の主張は理由がない。論旨は、採用することができない。

同第七について

所論は、本件に地公法二八条四項、一六条二号を適用することは憲法一三条、一四条一項、三一条に違反するというものであるが、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、上告人が地公法二八条四項、一六条二号により昭和五二年五月一〇日に失職したとする原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はないから、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は失当である。論旨は、採用することができない。

同第六について

所論の点に関する原審の判断は、その説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきよう、独自の見解に立って原判決を論難するにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官貞家克己 裁判官伊藤正己 裁判官安岡滿彦 裁判官坂上壽夫)

上告代理人岡田義雄、同冠木克彦の上告理由

上告人の主張の要点は第一に、地方公務員法第一六条二号、同法第二八条四項は憲法第一四条平等保護条項並びに第三一条実体的デュープロセス条項、及び第一三条幸福追求権条項に違反し無効であること、第二に、仮に右主張が認められない場合でも、本件上告人に対し、被上告人が昭和五五年二月二〇日に右地方公務員法各法条を適用して自動失職せしめた行為は憲法第一四条、第三一条、第一三条の適用を誤ったものであり憲法に違反し無効であること、第三に、以上のいずれの主張も認められない場合でも、被上告人が上告人に対し人事異動通知書を交付した昭和五五年二月二〇日においては上告人は公務員たる資格を回復していたのであるから、自動失職たる効力は発生していないという三点である。

原審並びに第一審判決は以上の憲法の解釈と適用を誤っている。

第一、はじめに

一、基本的事実関係

上告人は、昭和四七年四月一日付けで被上告人教育委員会に臨時職員として採用され、兵庫県立図書館設立準備室に勤務し、同年九月一六日付けで事務職員として本採用され、昭和四九年一〇月一日以降は、兵庫県立図書館の開館にともない同図書館資料課に勤務していた。

上告人は右採用前、昭和四四年当時龍谷大学文学部学生であったが、同年九月二〇日、いわゆる「京大カルチエ闘争」に参加して往来妨害、兇器準備集合、公務執行妨害の各罪で起訴され、昭和五二年四月二五日、京都地方裁判所において懲役一〇月、執行猶予二年の判決を受け、同年五月一〇日右刑は確定し、その後、昭和五四年五月一〇日、右刑の執行猶予期間が満了した。

ところが、被上告人は上告人に対し、右執行猶予期間満了後の昭和五五年二月二〇日、被上告人教育委員会名をもって、上告人が地公法第二八条四項、第一六条二号により、昭和五二年五月一〇日当然に失職したとして、同日付で失職した旨の人事移動通知書(失職通知書)を交付し、右通知の翌日から上告人の就労申し出を拒否し、実質上解雇した。

二、基本的問題点

1、地方公務員として採用される前の、そして、失職通知を受ける一一年前の行為をとらえて公務の信用を毀損したとして当然に失職するとする制度にいかなる合理性が存在しているのか。公務員が戦前旧憲法時代の特権的役人ではなく、公務員労働者として広範に存在し、国民主権の民主憲法にかわった現代においても、公務員採用前の身分に付着した瑕疵が何が故に公務の信用を毀損したとしてその身分を剥奪されねばならないのか。

2、法の規定があるとして、その法の規定の趣旨が単に公共の福祉という無規定な一般条項によって説明され機械的に適用される事によって、その法が守らんとした法益自体に背理して、民主的公務員制度自体を毀損しているのではないか。法が守らんとした法益は公務の信用性の保持であるとすれば、一一年前の行為により、八年間執務してきた上告人の公務にいかなる瑕疵があるのか説明されなければならないし、約三年前に遡って公務員たる地位を否認するという意味、つまり、約三年間公務員でない者が公務を行い、公務員としての文書を作成し、公務全般を遂行してきた行為は一体どうなるのか、給与との関係で事実上労務の提供がなされたのでそれに対する対価として精算するという考え方が普通であるが、金銭の精算はこのように理屈がつくとしても、では公務員でなかった「公務員」のなした「公務」はそれでも有効といえるのであろうか。失職通知が単に事実の通知、つまり、概念の通知であり処分ではないという考え方にたてば、失職事由の発生した時点でいかなる意味においても公務員ではなかったわけであるから、「非公務員による公務」の瑕疵はいかなる根拠で治癒するのであろうか。失職通知を処分であると解せば、その処分までは公務員であるからこのような問題は発生しない。

3、以上のように本件事案に地公法第二八条四項、第一六条二号をそのまま機械的に適用すると非常な無理が生じてくる。同条項の法意を尊重して、かつ、合理的に解釈し適用しようとすれば、第二八条四項の自動失職は在職中の行為に限って適用されると考えるべきである。在職前の行為については第一六条二号で資格要件によるチェックがなされ、在職中の行為について第二八条四項が適用されると考える事が正しいのではないか。本件事案はそれではいずれにもあてはまらないことになるが、その場合は自動失職ではなくて分限により対処できるし、対処すればなんら問題は存在しない。八年間の公務の実績を持つ本件の場合に失職事由が存在したという事実のうえにたって、八年間の実績と勘案して分限で措置すれば足りる問題である。

4、以上のような解釈をとりえないという理論及び解釈学は、地公法第二八条四項、第一六条二号の憲法的問題点を理解していないものであり、以下、同条項の違憲的内容を明らかにし、そして、それが合憲であるためには限定して解釈すべき事を主張するものである。

以下、現在の公務員の職務の実体を前提的事実として述べ、第二八条四項、第一六条二号自体の違憲性を述べ、運用において違憲性を回避すべき適用を述べる。

三、前提的事実としての公務員職務の拡大と多様化

1、現業部門、サービス部門の拡大

戦後、国家や地方公共団体の機能は、単に国家意思の実現という権力的作用にとどまらず、福祉国家としての多面的機能を営なみ、医療など厚生行政の現業や教育その他文化的仕事から、郵便、通信、運輸、工場など無数の機関を通じて多種多様の機能を営なみ、同時に、そこに働く労働者の多様性を示している。これらの労働者は一般に官公労働者といわれているが、これら官公労働者の集団を私企業の労働者から峻別して一律にとらえることは不可能の業というべきである。これら労働過程は私企業の労働者とほとんどかわることがなく、私企業労働者の事務・技術・筋肉労働などと照応して、両者の共通性を顕わにしてゆくものである。最近の行政改革により、日本専売公社及び電信電話公社が民営化され、現に国鉄が民営化され、郵政省関係では貯金業務の民営化が問題となっているほか、さらに、地方公共団体においては現業部門の民営下請化が進められようとしている。これらの諸現象は官民の区別を一層相対化し、その同一性をこそ示すものといえる。注意すべきことはこれまで官民の根本的区別のメルクマールである公共性という点が、民営化された企業においても維持されているという点である。

2、一般公務員と私企業労働者の区別と同一性

(一) 公務員労働者の職種は多岐にわたっているが、ちなみに、兵庫県職員の職種は左記のとおりである。

行政職

事務職、医師・歯科医師、保健婦、薬剤師、臨床検査技師、診療放射線技師、診療エックス線技師、言語難聴訓練士、理学療法士、作業療法士、視能訓練士、物量技師、歯科衛生士、歯科技工士、栄養士、衛生検査技師、教護・教母、保母、心理判定員、母子相談員、教務、衛生獣医師、農林獣医師、農学職、畜産職、林学職、水産職、農業土木職、生活改良普及員、生活技師、計量技師、公害技師、産業保安技師、職業訓練指導員、土木職、建築職、電気職、機械職、化学職、学芸員、司書、埋蔵文化財技師、その他

研究職

研究員

医師・歯科医師職

医師・歯科医師

看護職

看護婦(士)、准看護婦(士)

技能労務職

自動車運転員、操機員、甲板員、機関員、工技員、電話交換員、試験研究技術員、土木技術員、副監督員、環境衛生技術員、調理員、保安員、用務員、給食員、洗濯員、病院事務員、病院技術員、看護技術員、保育補助員、文書事務員、文書事務補助員、タイピスト、事務員

地方事務官

地方事務官

以上、これら職種の内容をみると、その労働過程は私企業労働者となんら異なるものではなく、ただ、事務職のうち国家地方公共団体の優越的意思の実現という権力的作用を担う職種のみが私企業と区別されるものである。これら種々の職種に共通な資格要件が一体何故必要であるのか、その合理的根拠が問われなければならない。

(二) ひるがえって、地方公務員法第一六条二号の要件である禁錮以上の刑とは、刑法上のほとんどの犯罪に懲役刑が課せられているため、ほとんどの犯罪が該当してしまう。罰金刑以下は、軽犯罪法(拘留・科料)、過失傷害・致死(罰金)、賭博、変死者密葬の罪ぐらいであり、罰金刑が選択刑となっているのは、業務上過失傷害・致死、暴行、傷害、兇器準備集合、公然猥褻、猥褻物頒布等ぐらいである。公務員の職種の拡大は同時に労働の範囲、労働環境の拡大を意味し、犯罪に陥る機会も増大していることを意味する。直ちに思いうかべることのできるのは、交通事故、医療事故、学校や施設での事故であり、その事故の結果禁錮以上の刑で有罪となり、執行猶予を得たとしても直ちに職場から放てきされるというのは余りにも不合理なそして私企業労働者と比較して酷な結果をもたらす事は明らかであろう。

(三) 以上民間労働者と公務員労働者の区別と同一性をみてきたが、現代社会はその区別の側面を限りなく狭少化し逆に限りなく民間労働者との同一性の側面を拡大してきている事は明らかである。これまで区別のメルクマールとされてきた公共性の側面も大規模な民間会社の労働者とほとんどその差をなからしめている。このような現代社会の具体的状況の下での公務員の資格要件の合理性が再検討されなければならない。

第二、現行憲法における公務員制度論と資格要件、自動失職制度の矛盾

一、民主主義と非特権的公務員像

1、国民主権と公務員制度

(一) 天皇主権国家から国民主権国家への大転換は当然に公務員制度の根本的転換をもたらした。天皇主権国家における国家のあらゆる機能の源泉は天皇に存在し、国民は臣民として憲法上も被支配者として国家意思形成の主体ともなりえなかったし、国家運営の主体となることもできなかった。そこにおける公務員は、神たる天皇の官吏であり、神聖にして犯すべからざる天皇の権能を執行する者として、被治者たる臣民に対し臣民から超越した特権者であるとともに、天皇に対する関係では絶対的命令への隷属を義務とし無定量に奉公すべき侍女であり、人格的にも倫理的にもその無瑕疵性が要求された。その無瑕疵性は公務と身分を分離して判断されたのではなく、嘱人的に、つまり、その個人自体の人格全体について求められたものである。

(二) 右に反し、新憲法下の国民主権国家においては、国家の権能の源泉は国民にあり、国民全体が自らの代表者を選定することにより、その代表者の意思による国家意思に従うという民主主義が実現された。民主主義の原則は「人民の、人民による、人民のための政治」であり、治者と被治者との自同性をその前提としている。このことはマグナ・カルタの成立が「同僚による裁判」を要求した闘いによってかちとられたという歴史的事実によって明らかである。したがって、この国民自らの意思を国民自らが実現し実行する公務員は国民と対立する特権者ではなく、また、通常の国民と特別異った人格的無瑕疵性が要求されるわけではない。

(三) ところで、右に述べた原則について全公務員をその対象としてながめた場合余りにも千差万別の公務員が存在するため一色にぬりつぶして考える事に無理が存在するようにみえる。国民の意思を代表するような公務員や、それに近い高級公務員に対して、国民を代表する者としてその人格も高潔であってほしいと望むことは無理からぬ気持であろう。これに対し、単に労務を提供する公務員に対しては、その提供される公務自体が公正であるかぎりなんら、その公務員自身の瑕疵について関知するところではないと考えられる。

(四) 憲法自体の規定する公務員像は「全体の奉仕者性」のみであって、それ以上の規定をしていないけれども、憲法自体は慎重に二つの公務員を区別していると考えられる。この区別は憲法第一五条の一項と二項の区別に存在するので、以下同条項を検討する。

2、憲法第一五条一項、二項の区別

(一) 同条一項は国民主権にもとづき、憲法前文にいう「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し」との本旨を規定したものであり、代議政治を意味すると同時に、公務員が国民主権のもとに従属してその権限を行うべきことが示されている。しかし、本項は「すべての」公務員とは述べておらず、本項による選定・罷免の対象たるべき公務員は、単なる事務技術に従事する者ではなくして、政治的立場にあるところの権力行使の任務を持つ者を主体としている。そしてこのようにして選定せられた者が、他の公務員を任命していくのは、ひいては国民の意思に基づいているという構成をとっている。

(二) しかしながら、国民が選定したのは国政を決定するうえで特定の政治方針を担っている者を選定したものであって、その者を代表者と認めても、その代表者が国政遂行に必要な公務員労働者を任命したからといってそれら全てを代表者であるとは誰も認めてはいない。一般職公務員に求められている職務は不偏不党に公正に公務が遂行されることのみであって、代表者にふさわしい資格などという資格を求めているわけではない。

(三) 同条第二項は全ての公務員に対する要求として「全体の奉仕者」たるべきことのみを規定し、それ以上に代表者たるにふさわしい要件を求めていない。この事はより多くの国民が公務に参加することを期待したものであるとともに、ただ、職務の遂行を公正にさせるべき要件として不偏不党性を意味する全体の奉仕者性を規定したものとみるべきである。

ちなみに、この全体の奉仕者について一言述べれば、この規定はいわゆる「公僕性」を規定したものではなく、右に述べたように職務遂行上の公正さの原則を述べたものである。公僕とは公けのしもべ、下男というよう意味であるが、この言葉は戦後直後、天皇制絶対主義官僚の超越的特権者のイメージをくつがえすためにかたられた言葉であるが、現代憲法下において何人も僕婢たるいやしめを受けるいわれは存しない。公務員労働者は特権者でもなければ、また、民間労働者や市民から下位にみられていやしめを受ける者でもなく、他の労働者や市民と同等対等の人格であり、ただ、公務を公正に遂行すべき義務を有する労働者であるという事ができる。この点についてはILOの「公務に関する技術会議報告書」(一九七五年四月)第三六項において労働代表の主張として「労働代表は、公務員は公僕であり、公務員と国の関係においては国の統治権が常に保持されるべきだとする伝統的な概念に反発した。労働代表は、公務員を第二等級の市民にしているこの概念は時代遅れであり、公務員の条件と民間部門労働者の条件とにはもはや差異はないと考えた。労働代表は、労使関係分野で公務員がいまだに受けている差別を廃すべきであると主張し、ILOがこのような現存の差別について研究を行うよう提案した」と記されている。この「技術会議」は一九七六年四月の「公務における懲戒規定及び手続並びに地方の公務員の労働・雇用条件に関する結論」に結びついていくが、この懲戒の問題は後に述べるとして、ここでは公務員労働者が民間労働者と本質的に同じであって、ただ、その職務を公正に遂行すべき義務が課せられる労働者であるという点にとどめる。

以上、現憲法下における公務員像を検討したが、次に、公務に就く権利(能力)の観点から資格要件を検討する。

二、公務に就く権利(能力)と必要最少限度の資格要件

1、参政権と平等原則

(一) 参政権は国民が国家の機関として公務に関与する権利であり、いわゆる能動的地位に基づく権利である。選挙権その他の個別的な権利は、これに関する具体的な法律の制定をまって成立するのであるが、そうした権利の存在の基礎ともなるべき国民の国政への参加の資格は、民主的な普遍原理の反映であり(前文)、基本的人権の性格を有するものである。公務に従事する権利も、この国民主権原理及び参政権から導かれる原理であり、歴史的にはフランス人権宣言において「すべて市民は、その能力と才能による差別以外のいかなる差別を受けることなく、等しくあらゆる公務に就くことができる」と宣している。

(二) したがって、国民は何人も等しく公務に従事しうる権利能力を付与されているが、資格要件はこの権利能力に対する制限であり、参政権から派生する基本的人権に対する制限である。他の基本的人権との関連では職業選択の自由権に対する制限でもある。

(三) 基本的人権に対する制限は単に合理的であるにとどまらず他にかわりうる手段のない必要最少限度でなければならない。アメリカ合衆国における憲法訴訟においては、その基本的人権の制限が問題となる限り、国家当局によるその制限の「必要不可欠性」の立証及び、他にかわりうる手段がないことの立証が要件となっているようであるが、我国の憲法解釈においても、最大限に尊重されるべき基本的人権の制限は合理的であり、かつ、他にかわりうる手段を有しない必要最少限でなければならないと考えられる。地方公務員法第一六条二号及び同法第二八条の要件が必要最少限度か否かの検討は以下に譲るとしてここでは、上告人の権利性を確認し、その制限が認められるためには、制限が合理的で、かつ、他にかわりうる手段のない必要最少限度でなければならないことの確認にとどめる。

2、公職選挙法の資格要件との対比

(一) 憲法第一五条は、公務員制度と選挙制度を統一的に規定し、両者を参政権として規定している。参政権は、憲法前文における「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使」するという国民主権の大原則に基づくものであって、国民が国家機関として能動的地位に立つことを保障したものである。国民は一方で国家に相対する形で各種請求権を行使し、あるいは、国家から干渉を受けない自由権を享有しているが、これらの権利はルソーのいう市民としての権利、個人的権利であるのに対し、参政権は同じくルソーのいう公民としての権利である。そして、この国民の国政への参加の資格は、民主的な基本原理(憲法前文)の反映であり、国家の活動が国民にとって不利益とならないように、更に、国家の活動を国民の利益幸福の方向に導くための不可侵の基本的人権である。

(二) 参政権の根幹ともいうべき公職選挙法においては、右民主政治の大原則の目的にそうよう選挙権、被選挙権の制限を必要最少限度にとどめている。禁錮以上の刑に処せられその執行を受けることがなくなるまでの者であっても執行猶予者は除外されているし、執行猶予中の者で右権利を有しない者は、選挙犯罪者に限っている。

右の規定の仕方は、犯罪者でも現実に参政権を行使しうる状況にある者についてはこれを保障し、ただ、公正な選挙という目的に敵対する犯罪を行った者についてその資格を剥奪しているにすぎず、参政権を剥奪する犯罪を犯罪一般ではなく、選挙に密接不可分な関連性を有する行為に限定しているのである。これは、基本的人権に対する最少限度の制限として、妥当なものといえよう。

(三) ところが、地公法の前記規定は、同法の目的実現のために不可欠な制限とはいいがたい。すなわち、同法は、第一条において同法の目的について「地方公共団体の行政の民主的且つ能率的な運営を保障し、もって地方自治の本旨の実現に資することを目的とする。」と規定しているが、公務員の資格制限の点について、公職選挙法と対比して特に執行猶予者を画一的に排除させるべき根拠を右目的中に見出すことはできない。

三、自動失職制度は天皇制絶対主義の残滓である

1、旧憲法下の公務員(官吏)像について

旧憲法下の官吏は、官吏服務紀律(明治二〇年七月三〇日勅令第三九号)第一条がその理念を示すように「天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ忠順勤勉ヲ主トシ法律命令ニ従ヒ各職務ヲ尽ス可」きものとされ、こうした官吏の勤務関係は、「単なる経済上の労務給付の関係に非ずして、同時に倫理的な関係なり、官吏は私を去りて公に奉じ、一身を捧げて国家に忠実なるべき義務を負う。此の点に於て官吏関係は私法上の雇庸関係と区別せらる」(美濃部達吉 行政法概要・上 二三〇頁)と説明されていた。そして、忠実の義務とは「官吏がその職務に関し、又は其の公の行動につき天皇の大御心に副ふべき義務である。職務に尽すの義務のように現職官吏のみが負ふべき義務でなく、苟くも官吏たる身分を有する者全般の負担すべきものに属する」(杉村章三郎 官吏法 二〇頁)とし、品位保持の義務の根拠は、「官吏がその品位を汚すべき行為をなせば自己の職務の執行をなすに当り誠実を欠くに至るべきはその必然の結果たるべく、又この結果は併せて政府の威厳を損じその利益を害することになる」(同 三〇頁)と説明されている。

このように、旧憲法下の官吏は、天皇とその政府に対し、無定量の勤務に服すべき義務を負担し、人民とは身分的に不対等な関係に立ち、天皇とその政府の権威を担うべき特権者であり、給与についても、勤務に対する対価としてではなく、生活及び品位保持の費用として支給されていた。

2、自動失職制度の沿革について

禁錮以上の刑に処せられた官吏の自動失職制度は、こうした特権者としての官吏の性格をふまえて設けられたものであり、その起源は、明治一三年七月一七日太政官布告第三六号「刑法」(ボアソナード刑法、以下、「旧刑法」という)第三一条ないし第三三条である。すなわち、同法第三三条は、「禁錮ニ処セラレタル者ハ別ニ宣告ヲ用ヒス現在ノ官職ヲ失ヒ及ヒ其刑期間公権ヲ行フ事ヲ停止ス」と規定していた。その後、旧刑法が廃止された後も、刑法施行法第三七条は、「他ノ法律中旧刑法第三十一条又ハ第三十三条ノ規定アル為メ人ノ資格ニ関シ別段ノ規定ヲ設ケサリシ場合ニ付テハ旧刑法第三十一条及ヒ第三十三条ノ規定ハ人ノ資格ニ関シ刑法施行前ト同一ノ効力ヲ有ス」と規定し、右効力を維持した。そして、執行猶予を受けた者も、刑に「処セラレタル者」との解釈がとられ、前記規定が適用された(明治四二年七月一五日内閣書記官長より陸軍次官宛回答 刑の執行猶予の言渡を受けたる者の失官に関する件)。

ところで、官吏には文官、武官の別があり、天皇との親近性の近い順に親任官、それ以外の勅任官、奏任官、判任官の官等を有する官吏、官等を有せず官等に等しい待遇を受ける官吏(地方待遇職員等)及び官等も有せず官等に等しい待遇も受けない官吏に分類されていたが、右規定はこれらの官吏すべてに適用されていた。

他方、公吏については、地方公共団体によって選任されるため官吏として右規定が適用されることはなく、失職規定としては、「市町村公民に限って担任すべき職務にある吏員がその選挙権につき失権原因を生じ之を喪失したとき」との規定があった。

また、雇員は、傭人と異なり俸給を得て公務に奉ずる者とされ、実質的意義における官吏に包含する解釈がとられていたが、任用、分限では官吏と異なる扱いであった(以上、杉村章三郎 前掲書参照)。

以上の制度が戦後、一般職国家公務員及び一般職地方公務員の分限にとり入れられ、本件自動失職制度となった。

3、以上検討のとおり自動失職制度は旧憲法時代の特権的公務員制度を保持するための制度であり、今日の民主的公務員像と相矛盾する制度である。

第三、地方公務員法第一六条二号、同第二八条四項の憲法第一四条違反

一、概略

1、地公法第一六条二号は、「禁こ以上の刑に処せられ、その執行を終るまで又はその執行を受けることがなくなるまでの者」を地方公務員の欠格事由の一つとして掲げるとともに、同法第二八条四項では、地方公務員が、同法「第一六条二号(第三号を除く。)の一に該当するに至ったときは、条例に特別の定がある場合を除く外、その職を失う。」旨規定し、禁錮以上の刑に処せられた者に対して一律に自動失職制度を定めている。

2、しかし、地公法のこれら各規定は、当該公務員が犯した犯罪が公務の信用を毀損する行為か否かの具体的区別を行わず一律に規定し、この形式的要件に該当する事実の存在のみによって、弁明等一切の聴問手続を経ずに生存権の基盤である職を奪うものであるが、これは本各条項の立法目的である公務に対する信用を保護するという正当な目的を達成する手段としては余りにも広きに失するものである。これら制度の淵源は天皇制絶対主義の下での官吏制度から発し、起源は明治一三年のボアソナード刑法に求められ、人民から超越した特権者たる官僚制度にふさわしい制度であり、現憲法下における国民主権制度においては合理性の根拠を有せず、民間労働者との対比においても不平等な差別である。犯罪行為はそれが分限・懲戒の対象になりうる場合がありうることを否定するものではないが、その場合にはその具体的内容が審査され本人の弁明の機会や、懲戒の程度の問題が具体的に検討されその当否が具体的に確定することができる。しかし、本件のごとき資格要件と自動失職制度のもとにおいては法律上当然の効果として失職せしめられるものであり、私企業労働者と対比して不合理な酷な差別である。また、公務の信用の確保という点では分限・懲戒処分で可能であるにもかかわらず、かかる画一的問答無用的制度は基本的人権を制約する根拠としては必要最少限度を越え違法である。

二、差別の合理性判断基準の検討

本件自動失職制度は、前述のとおり、有罪判決を受けた公務員について、一般の私企業労働者と比較して不利益な取扱いをするものであるから、右取扱いの合理性の有無が検討されなければならないが、その前に、こうした差別の合理性判断に関するわが国及びアメリカ合衆国の判例及び学説について検討することとする。

なお、第一審判決はアメリカ合衆国における判例・学説について、歴史や法制度の差異をもって単に参考資料としての位置づけしか与えていないが、日本国憲法はアメリカ法の強い影響の下で誕生した事は公知の事実であり、憲法の解釈においても法源に近い重要性を有しているというべきである。本項でとりあげるアメリカ法における諸原則諸理論はデュープロセス オブ ロウの発展の中で形成せられてきたものであるが、本件の日本国憲法第一四条がとりあげている問題は同じである。

1、相対的平等説

憲法第一四条の平等保護条項がいかなる意味での平等を要求しているかについて、講学上は、絶対的平等説、制限的絶対平等説及び相対平等説の三説が存在するが、通説判例は、相対的平等説に立脚しているものと考えられる(たとえば、最高裁判所昭和三九年五月二七日大法廷判決 民集第一八巻第四号六七六頁は、憲法第一四条一項について、「国民に対し絶対的な平等を保障したものでなく、差別すべき合理的理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱をすることは、なんら」右法条の否定するところではない旨判示している。)。

ところで、相対的平等保護の要求とは、一言にしていえば、各人の事実上の事情と法律上の処遇との間の比率の均一を要求することである。つまり、それは、平等な前提に対する平等な処遇の保障であり、前提が平等であるというのは、事実上の事情が等しいことを意味する。しかし、人間の社会生活において完全に同等な事実はほとんど存在しないのであるから、事実上の差異が法的取扱いとの関連で無視できない重要性を有するものでなければ法的差別の根拠とすることはできない。そこで、いかなる場合に法的に重要な事実上の差異が存するといいうるかが問題となるが、本件においては、禁錮以上の有罪判決を受け、かつ、その執行を猶予された者について、雇用関係上の地位に関し、他の私企業労働者に比較して、不利益な取扱いをすることが、合理的かどうかが論じられなければならない。なお、私企業労働者において、禁錮以上の有罪判決により懲戒解雇される場合や、また、就業規則上懲戒解雇事由として規定される場合がありうること、あるいは公務員において、懲戒解雇事由として分限の対象となる可能性を否定するものではないが、右はいずれもその当該犯罪の具体的内容との関連、企業の規模、業種、本人の地位と職種との関連等を検討のうえ、なされるものであり、公務員の場合も同様に公務員の適格性判断における具体的関連性において、懲戒処分等の当否が具体的に検討され、法的にも合理的当否が審査されうる可能性をもっているものである。それに対し、地公法第一六条二号及び二八条四項においては、一切の具体的諸事情を捨象して、また、一切の手続的保護を与える事なく、自動的に公務員たる地位を剥奪してその生活を危殆ならしめるという苛酷な不利益が何ゆえに合理的存在理由を有するのかという問題である。

2、立法事実及び立法目的達成に「必要やむをえない手段」について

相対的平等保護においてはその前提たる事実との関連において、合理的差別かどうかが検討されなければならないが、その合理性の具体的内容は、形式的平等から配分的正義へという歴史的論理的志向性を有しているものである。

法はその立法に際して、当該法の適用対象たる事実として立法時におけるある特定の事実を前提とし、右事実に対して、立法目的達成に必要な規制を行うものである。

地公法の前記各法条は、その淵源を旧刑法に求められる事は既に述べたとおりであるが、当時法が前提とした事実は、明治天皇制絶対主義の時代において、天皇の官吏として、人民に対する支配者たる官吏、特に、天皇制絶対主義を支えるために必要不可欠な威厳を保持し人民に君臨する官僚機構の保持に必要な資格要件という事実である。しかし、戦後においては、公務員の地位が根本的に転換され、公務員は、もはや人民に優越する特権者ではなくなった。

しかも、現在、公務は社会の全分野に広がり、公務員の職種は広範多岐にわたり、その数の膨大なものとなっている。こうした実情のもとでは、これら膨大な数の公務員全体に対し一律に規定しているところの右資格要件は、その対象となる事実との関連でその合理性が再審査されなければならない。

そして、右審査に当たっては、公務の信用性の保護という立法目的に照らし、分限規定ではなく、資格要件として規定しなければ信用性が保持できないのかどうか、右目的のために、憲法上の平等保護条項により当該公務員が保護されなくとも合理的であって、必要やむをえない規定であるのかどうかが審査されなければならない。

3、アメリカ法において達成された成果について

合衆国においては、憲法修正第一四条の平等保護条項に関し、一九六〇年までは、差別の合理性を支える事実が立法時において存在していたと推定されるとしたうえで、立法が差別的であることを主張する者は、それが合理的根拠に基づくものでないことを立証する責任があるとされていた。

ところが、一九六〇年代に至って、立法者が絶対的平等の要請に従わないのは、必要やむをえない場合に限られるという必要性の基準が確立され、①法律による差別は正当な政府目的の達成にとり必要やむをえない手段でなければならず、②差別の実際的効果においても精密な平等を要求し、③裁判所は州の差別立法の正当性について厳密な審査を行い、④差別の必要性を立証する責任は州にあるとされるに至った。そして、どのような差別的取扱いが許されるかという点については、三つの定式化が行われている。すなわち、

① 差別(classification)は合理的(reasonable)ないし説得的(plausible)なものでなければならない。

② ある種の差別は疑わしき差別(suspect classification)であることが多いが、こうした場合には、政府の側で差別を設けている強度の必要的理由(compelling reasonable)を主張、立証しなければならない。

③ 基本的権利(fundamental interest)、特に雇用等に関する法的利害関係(legal interest)が含まれている場合には、政府はその必要的理由を主張、立証しなければならない。

とされている。そして、以上のアメリカ法における前進は、次に述べるように一九七四年アイオワ州最高裁判所における画期的判決を生み出した。

4、アメリカ法における画期的判決について

一九七四年アイオワ州最高裁は、アイオワ州において、重罪の有罪判決を受けたものを一律に公務員の消極的資格要件に定めた規定に対し、違憲判決を下した(Butts v. Nichols, 381 F. supp. 573(S.D.IOWA 1974))。

同判決は、州が重罪で有罪宣告を受けたことをある特定の職に必要とされる職務遂行能力の欠如を示すものとして、当該有罪宣告を受けた者のその職への就任を拒むことは条理上許されているとしても、アイオワ州の制限は、こうした考慮を払うことなく、一律に制限を置くものであり、この規定を置かないことによって州のいかなる利益が損われるかについての合理的な関連性が乏しいとして、「法律上達成することが望ましいとされた目的とそれを達成するに当たって採られる手段・方法との間に明確な関連性がないとするならば、この法律は平等保護条項に違反する。」と判示した。同州法では、軽罪で有罪宣告を受けた者は公務員への就任を妨げられることはないが、軽罪でも例えばdishonesty(詐欺)の方が重罪のうち、例えばdesertion(遺棄)よりも公務の信用を損う危険性が低いとするのは極めて疑わしく、このようなことから、裁判所は、重罪か軽罪かという現在ではほとんど手続上の意味をもたない事実によって一律に制限を設けるのではなく、個々の犯罪ごとに制限の実質的理由が必要であるとしたわけである。

また、同判決は、特に公務からある一定の人々を排除するためには、明瞭な国家目的達成のための必要性とのより正確な関連性を要求し、公務一般ではなく、当該公務と有罪宣告を受けた者が犯した犯罪との具体的関連性において、公務の信用性が犯されるかどうかを審査して、州当局に対して、公務信用が犯されるという具体的立証を要求した。更に、同判決は、公務中で最高と最低(highest and lowest of municipal jobs)については資格要件となっておらず、中間の公務員のみに制限が課せられている点の不合理性にも言及しており、日本において特別職より厳しい制限が一般職に課せられているという不合理性についても多くの示唆を与えるものである。

なお、合衆国においては、この分野でも法の改正が進んでおり、一九七一年以降公務員の任用に関する規定が改正された州は一五にのぼり、改正を考慮中の州は一三を数えるという。そして、これらの改正された規定では、就任しようとする職との直接的関連性を有する犯罪で有罪の宣告を受けたことが必要とされている。

以上のように、公務員の資格要件及び分限についての世界的な傾向は、当該具体的公務との関連性を求め、公務に対する信頼という内容も具体的公務との関連性によって限定しようとしているのである。そして、一九七六年ILO第二回公務合同委員会において採択された「公務の分野におけるILOの作業に関する決議(第三号)」においても、「公務員の私生活に不当な干渉を行ってはならない。公的な職務に無関係な行為によって有罪となった公務員は、その有罪の決定自体が、当該公務員について、公務員としての適格性に疑問を生じさせるものでないかぎり懲戒責任を問われてはならない。」と規定されている。

三、自動失職制度の非合理性について

前述のように、禁錮以上の刑に処せられたことを理由とする地公法の自動失職制度は、旧憲法下において官吏に対して適用されていた制度をそのまま現行憲法下の公務員に導入したものであるが、前述したわが国及び合衆国の判例及び学説をふまえて、右制度が現行憲法下においても、なお合理性を有するかどうかについて、検討することとする。

1、自動失職制度の合理的根拠に対する反論

(一) 地公法第一六条二号及び第二八条四項の合理的根拠については、一般的に「公務に対する国民の信頼の確保」、「禁錮以上の刑に処せられたということ自体で、当該職員が公務部内に止まることを許すが、公務に対する国民の信頼を損なう。」、「公務員は全体の奉仕者として公務を遂行するものであるから、それにふさわしい要件を欠く者については、職員たる資格を認めないことがむしろ合理的である。」などと説明されている。

(二) 前述した根拠は一言にしていえば、禁錮以上の刑に処せられた公務員は、全体の奉仕者たるにふさわしくないということに帰するようである。そこで、右内容につき検討する。

全体の奉仕者性の意義について

全体への奉仕とは、国民全体の利益への奉仕であって、一部の者の利益のために尽すことを得ない意味であると通常定義され、国民の公務員選定罷免権と相まって、旧憲法下におけるところの上から臣民に君臨する超越的統治機関としての官吏制度を根本的に転換すべき歴史的意義を有する規定である。

特権的身分官僚制から対等契約関係に立つ公務員制度への転換について

当初の公務員法は、右憲法の趣旨に従って官僚制の民主化という観点から、合議制官庁としての人事委員会の新設、強固な身分保障を有しない特別職の広汎な採用、公務員の政治活動に対する一定限度の許容、不良公務員に対して一般人民の側からなされる弾劾制、公務員組合の労働権の保障等を規定し、公務員にたいし、一般私企業労働者とほぼ対等な権利を保障するとともに、その人事の公正と一般人民による監視という民主化の方策を採用した。

もっとも、こうした画期的な公務員制度は、その具体的な効果もいまだ現れない段階で、人事委員会が強力な権限を有する単独制の人事院に改められ、特別職が著しくその範囲を制限され、公務員の政治活動が封ぜられ、弾劾制が葬られ、公務員組合の労働権が完全に骨抜きにされ、今日に至っている。

しかし、このような変遷を経ながらも、旧憲法下における特権的身分官僚制は打破され、公務員関係については、いわば、身分から契約への転換がなされたというべきである。

全体の奉仕者性の今日的意義について

前述した経過を前提とするならば、公務員の全体の奉仕者性も、単に、天皇の国家に対する奉仕者から国民主権国家に対する奉仕者へという奉仕の対象の転換にとどまるものではなく、超越的に上から臣民に君臨する統治機関としての官吏の地位から、一般国民との自同性の原則を前提として、その国民を代表する機関との契約関係に基づき、労務を提供することによって一般国民に奉仕する公務員の地位への転換により、全体の奉仕者にふさわしい資格要件たる内容も転換されているとみなければならない。

今日における公務員の職務担当は個々具体的に限定され、無定量な奉仕を要求された旧憲法下の官吏とは根本的に異なっている。旧憲法下の官吏に対する人民の信頼及び天皇制国家の権威は支配者としての官吏及びその集団の身分的高潔制をその不可欠な要件とせざるを得なかった。それは無定量な奉仕に対応するところの無定量な法的倫理的無瑕疵性ということができる。それに対し、今日の公務員はその膨大な人員とともにその担当する職務は千差万別多岐にわたり、その職務に対する国民の信頼も個々具体的な内容と程度によって異なっている。それにもかかわらず、一般職公務員としてこれを一律に取扱い、画一的な資格要件を職務とは無関係に規定することは、極めて不合理といわざるを得ない。

(三) よって、公務員が全体の奉仕者であることは、地公法第一六条二号及び第二八条四項を合憲とする理由たりえない。

2、第一審判決の「強度の反社会性」論への反論

(一) 第一審判決は上告人の請求を棄却するほぼ積極的な理由としては唯一といえる根拠として「禁錮以上の刑」すなわち「強度の反社会性」を有するから、すなわち「公務の信用を毀損する」という論理を主張している。しかし、これは法の趣旨について公共の福祉という一般的無規定的言葉のくりかえしによって説明してきた旧態依然たる論理となんら異なるところはない。

(二) この「強度の反社会性」論の決定的欠陥は、地方自治体において特別条項を設け自動失職にならない場合にこの「強度の反社会性」を帯有した公務員がそのまま勤務を続けるわけであるが、公務の信用を毀損してもなおかつ失職しない例を法自体がみとめている事を説明しえないことである。また、執行猶予者は社会復帰をみとめられ社会の中で更生をはかるわけであるが、それは行為者自身の、つまり、主観的違法性の減少によってみとめられる制度である。したがって、行為の客観的性格自体が「強度の反社会性」が存在したとしても、執行を猶予されたという事は総体としての違法性の減少を意味する。本件地公法第一六条二号が右「猶予者」をもその対象にしている事を本件では主張しているものであり、第一審判決の根拠はまったく独断的きめつけという外はない。

3、消極的資格要件と特例条例の矛盾

地公法第一六条各号の事由は、絶対的かつ消極的資格要件であると一般的に解され、同条三号を除くほか、同法第二八条四項により、自動失職の効力が付与されている。

ところで、地公法は、こうした絶対的資格要件について条例による特例を認めているが、最低限の要件として法が規定した要件に対して例外を認めるという趣旨自体不可解である。すなわち、地公法第一六条のうち、第二号を除く各号については、それぞれ、公務員の職務の遂行能力又は職務に敵対する行為と関係づけて規定されているのであるから、その特例を認める合理的な根拠を見出すことは極めて困難であり、現実に、このような各号について特例を設けている地方公共団体は皆無である。結局、右条例による特例は、すべて同条各二号に関するものであり、このこともまた、同条項の不合理性を推認させるものである。

4、公務に対する信用と禁錮以上の刑について

公務員が禁錮以上の刑の有罪判決を受けた場合、公務の信用を損うことがありうることは何人も否定しないであろう。しかし、公務又は特定の職務を遂行するについてその能力や適格と無関係な行為により有罪判決を受けたからといって、常に公務の信用を害すると断ずることはできない。公務の信用を害するおそれといういわば抽象的危険を語る限り、公務員は、通常の市民生活を円満に送ることもできないであろう。

問題は、禁錮以上の刑に処せられたことを一律に公務員の絶対的資格要件として規定することの可否である。公務が禁錮以上の有罪判決を受けた場合、公務員の信用を害し、公務員の適格性を否定されることにより懲戒処分となりうる場合もあるが、それは、あくまでも具体的判断に基づいて行われるべきことである。そして、公務の信用の保持は、こうした判断を行いさえすれば、資格要件として規定しなくとも十分対処できる問題である。

よって、実際に公務の信用を保持するための方策を他に有しながら、職務に関係があるかどうか、また、職務遂行にとって関係があるかどうかの判断を抜きにして、禁錮以上の刑に処せられたことをもって包括的画一的な消極的資格要件とすることは、まさに官尊民卑の思想の残滓であり、公務員にとって、非合理な差別というべきである。

また、仮に採用時においては被採用者の能力及び人格を知り得ないことから画一的要件を定めることが合理的であるとしても、在職中における犯罪は、職務との関連で具体的に判断をなしうることであるから職務との関連性を問題とすべきであり、地公法第一六条二号及び第二八条四項のような画一的要件を在職要件とすべき合理的根拠を見出すことはできない。

5、小結

以上のとおり、地公法第一六条二号及び第二八条四項が、公務の信用を保持するためには他の手段(免職等)をもって可能であるにもかかわらず、執行猶予者に対しても職務との関連性を限定せず、一般職地方公務員全体に画一的包括的に絶対的消極的資格要件として規定していることは、一般職地方公務員に対し、非合理的差別を課するものであって、平等保護条項に違反し、違憲無効である。

以下、差別性の具体的内容を比較検討する。

四、私企業、公社職員等との具体的差別性

1、参考判例

イ、禁錮以上の確定判決による懲戒解雇事件(熊本地八代支部判、昭四五・五・一三、判例時報六一六号、一〇〇頁)

(一) 事案の概要

争議に関連して新旧組合の対立に際し、分け入った警察官に傷害を与え、公務執行妨害罪により懲戒二月執行猶予一年の確定判決を受け、就業規則上「刑罰法規に違反する行為をなし、禁錮以上の確定判決を受けたとき」に該当するとして懲戒解雇されたというものである。

(二) 判決の内容

判決は懲戒解雇事由に該当する事実があったとしても「それのみでは足らず、更に進んで原告の右違反行為が前述のような企業秩序維持の観点から、反省の機会を与えることなしに原告を会社より最終的に排除するのを相当と認めるに足る程度の重大性、悪質性を有するか否か」を具体的に判定すべきことを求め、さらに前記就業規則の規定の合理性の判断として、「交通人身事故による実刑判決と傷害による罰金刑の如く、禁錮以上の確定判決の場合が罰金刑以下の場合に比し、常に著しい反社会性、反規範性を有するものと直ちに断定できず」と述べ、懲戒解雇を無効とした。

ロ、業務上過失傷害罪による電々公社職員免職事件(徳島地判、昭四六年・三・三〇、判例時報六三四号、八七頁)

(一) 事案の概要

電々公社の職員が飲酒運転でタクシーに追突し運転手に三ヶ月の入院加療を要する傷害を与え禁錮六月執行猶予二年の刑に処せられ、電々公社法に基づく就業規則の「禁錮以上の刑に処せられたとき」に該当するとして免職処分に付された事件である。

(二) 判決の内容

本事案における公社の免職処分は「例えそれが形式上何らの違法がなくとも、実質的にその適用または運用が著しく相当性を欠き公正を失する場合はこれを権限逸脱の違法ありというべきである」として、電々公社における他地域の処分例を詳細に検討し、その比較においても不均衡で処分は違法と断じた。

2、信用保持の問題

(一) 私企業の従業員、公社職員及び本件のような公務員について、刑事責任を問われる禁錮以上の刑罰あるいは罰金が課せられた場合、その従業員たる地位や公務員等の身分関係が問われる理由は、すべて、せんじつめるとその企業体や公共団体の信用が毀損されるという点に収斂されるようである。ごく抽象的一般的に考えて、一組織体の構成員が犯罪を犯すとその組織体の外部的信用と内部の構成員どうしの信頼性に影響が及ぶという事は考えられる。抽象的思考方式の限りにおいては、犯罪者に対する「危険視」をひとつの当然の前提においているからであろう。

(二) ところで、右にみた抽象的思考における犯罪者に対する危険視とはすべての犯罪について画一的なものか否かが問い直されねばならない。通常刑事事件が発生するとその犯行者を犯人と呼ぶが、交通事故などにおいて業務上過失致死傷罪という犯罪が立派に成立しているのに、いわゆる「犯人」という呼び方は新聞記事などでなされていないし世間的にもこのような呼び方はしていない。同じ交通事故でも、ひき逃げについては「犯人」と呼んでいる。あるいは、「前科者」という言い方にしても、例えば組合活動や政治活動において刑罰を課せられた者に対しては、思想や立場の相違をこえて世間的にこのような蔑称をあびせたりはしていない。このような社会的事実は、刑法上あるいは他の特別法の全ての罪について、画一的な危険視や画一的な嫌悪感は存在しないことを示している。裁判例においても、刑事事件による有罪が懲戒等の形式的要件に該当しても、その処分の無効を争っている事件をみてもそのほとんどは、いわゆる破廉恥罪や、道徳犯、自然犯ではない犯罪であって、だからこそ、直ちに企業や組織体の信用を毀損するものではないとして争われているのである。破廉恥犯等については、当の本人達も社会通念上当然として争わないため裁判上登場しないものと推測できる。

(三) したがって、懲戒事由として例えば「禁錮以上の刑」に該当する犯罪行為を要件としていても、司法判断においてはその具体的妥当性を審査し、画一的断罪方法を排除している。

前掲イの判例は私企業労働者であるが、懲戒解雇とのバランスを考えて、「従ってこのような懲戒解雇の基本的な性格を考慮すると、懲戒解雇の原因となる従業員の当該違反行為も、右のような企業内の秩序ないし労務統制を乱し、或いは企業の対外的信用を著しく害する恐れがあり、且つ極刑に値する程度の違法性を備えたものでなければならず、すなわち違反行為自体とこれに対する懲戒解雇処分との間には社会通念上是認されるべき均衡性が保たれていることを要するものと解するのが相当である。」と述べ、前掲ロの判決も電々公社職員であるが右同様の判断に立って次のように述べている。「およそ職員の身分関係を一方的に排除する免職処分は、当該特別権力関係(公社職員の身分関係もこの範囲に属する)内にあってはそれが分限、懲戒のいずれによるものであってもいわば極刑に等しい結果を生ずるものであり、公社の終身を原則とする雇用の実情(公知の事実)、並びに身分上の処分は一般に謙抑主義の妥当する場合が多い点等に照らすと、例えそれが形式上何らの違法がなくとも、実質的にその適用または運用が著しく相当性を欠き公正を失する場合はこれを権限逸脱の違法ありといわねばならない。」

(四) 以上のように、私企業労働者や公社職員について、それぞれ企業の対外的信用や公社の公共性を問題にしても、なおかつ、分限免職、懲戒免職の「極刑」的性格からそのバランスを配慮するとともに、当該行為の及ぼす影響を具体的に審査して判断を下している。

しかし、本件地方公務員については、自動失職として、その具体的内容に関する司法審査すら及ばない制度を作りあげていることは、著しい不均衡と差別を作りあげているといわざるをえない。

3、公社職員の職務の公共性と本件地方公務員の職務の公共性

(一) 前掲ロの判決の控訴審判決(高松高判昭48年6月22日判例時報七三四号九七頁)は、公社側(控訴人)が公社の就業規則において禁錮以上の刑に処せられた時には免職となる規定をおいている趣旨について、国家公務員法第七六条、第三八条の失職条項に準じ、公社の公共性の高い業務に照らした規定である旨の主張に対し、「国家公務員の失格規定は行政の担当者として公務の権威を保ち、その公正な遂行に当るという職務内容に照らし、このような刑に処せられた場合は職員としての資質を欠くものとの考えに基づくものと解されるが、公社の事業の公共性は非権力的な経済活動として社会成員全体の生活上の便益を増進するための役務の提供であって、自ら国家公務員の場合と差異の存するところに従って身分上の取扱いにも差異を生じることは当然というべきである。」と述べ、国家公務員と公社職員を区別している。右判決が国家公務員の失格規定の根拠として述べている点は示唆に富んでいる。単に公正な職務というにとどまらず、「公務の権威」という要素を区別の重要なメルクマールとし、これに対する公社職員の職務についての公共性は「非権力的な経済活動」と規定して対比している。国家公務員についての「権威」は権力作用と結びついている趣旨と考えるが、この問題については後に述べるとして、本件上告人は図書館職員として非権力的サービス業務の従事者であって、公社職員の遂行する公共的職務となんら異なるところはない。地方自治体の図書館業務はすでに民間委託されているところもあり、地方行革の中で民間委託が進められようとしている。上告人の職務はおおよそ権力的職務と無縁であり「権威」など問題となる職務ではありえない。

(二) 以上のように、公社職員と比較しても、自動失職はその具体的妥当性の司法審査を受けえないものとして著しい差別性を有している。本件上告人が本件失職通知を受けた時点で一一年前の行為を理由とされているが、これがもし、分限、懲戒の問題であるとすれば、はたしてその合理性が認められうるであろうかと考えれば、何人も免職に対して不当と答えるであろう。本件上告人がなぜ失職しなければならないかという問いに対しては、ただ、法律制度がそうなっているからだという答は本件制度の不合理性を示すものであろう。

(三) 因みに前記判決文中に国家公務員の失職条項の趣旨について述べている点について言及する。右判決は「公務の権威の保持」という言葉を使用し、公社職員の職務の「非権力作用」に相対する形で述べている点を考えれば、権力作用の「権威」性を指すものと考えられる。権力作用は「優越した意思」の実現であるため、それを担う公務員もそれにふさわしい「優越性」が要求されるというのであろうか。本訴訟における原審判決の実質的価値判断の中味がこの「権威」性にあるのではないかとの推測を禁じえないが、もしそうであれば広範多様な公務員職務の拡大により、かかる「優越性」を前提とした画一的資格要件の画一的適用の不合理性について緻密な判断を打ちだすべきであったろう。ともあれ、職務の信用性の保持のみを理由として、地方公務員法の資格要件と自動失職制度を説明することは、分限、懲戒と比較して非常な無理が伴うものである。

4、小結

以上、種々検討したが、私企業労働者や公社職員と比較して最も大きな差別性は画一的資格要件と自動失職制度により、何年たっても法律上当然の効果として、その具体的内容の司法審査を受ける事ができないという不利益性にある。問答無用性こそ最も苛酷な制度というべきである。本件が自動失職ではなく行政処分であればその当否の審査を受けることができる。合衆国最高裁が「自由の歴史は、その多くは、手続的保障の遵守の歴史であった」というのはその実体について審査がなしうる手続の保障をうたっているものである。

五、特例条例を有する自治体公務員との差別性

1、地公法第一六条、第二八条四項特例許容の意義

(一) 特例を予定する立法

公務員の職務が極めて広範かつ多岐にわたっていることは既に述べたとおりであるが、このような単純労働や非権力的サービス労働に従事する公務員に対し、一律画一的にその資格要件を定める事は不合理であることを立法自体が認めている。このことは本条項の立法形式の特異性からも推認しうることである。国会が一定事項の立法を条例にまかせる場合、一定範囲の基準を定めてその枠内で条例に委任する場合が通常の形式である。ところが、地公法第一六条は、なんらの限定をつけることなく「条例で定める場合を除く外」と規定し、さらに、第二八条四項では第一六条三号を除いて「条例に特別の定がある場合を除く外」と規定し、資格要件の内容及びその資格要件に該当したあとの処分についても包括的に条例に委任するという特異な立法形式をとっている。従って、法形式からみれば国法の規定は条例を定める場合にはその例示的な意味しかもたないという不可思議な規定の仕方をしている。これは当初の立法において、職務の内容に応じた欠格条項の緩和が想定されていたもの(浅井清「新版国家公務員法講義」一九三頁)との指摘が事柄の本質を物語っている。つまり、本来本件地公法の各規定は画一的な適用を予定していたものではなく、各地方公共団体において地方自治の本旨に基づき多種多様な職務の内容に応じた条例による具体化を不可欠な要素としていたものと考えられる。

(二) 特例条例制定の現況

既に甲第三七号証、第三八号証で明らかなように、現在の調査段階での結果をみても、一三〇自治体が特例条例を制定し、上告人の場合の比較として特徴的な事実は、兵庫県内の神戸市、西宮市、加古川市、三田市における特例条例の要件が、執行猶予と情状のみが要件であって、仮に上告人がこのいずれかの市の職員であった場合には、少なくとも、失職事由に該当するかどうかの当局における意思表示が介在するため、特例条例を適用しないで失職とする旨の通知は行政処分として、その内容の審査を裁判所に求めえたはずである。同じ地方公務員でありながら上告人にとっては問答無用でしかもさかのぼって身分を失うという効果が発生し、これは法律上当然に発生する効果として、行政処分ではなく、したがって、その内容の当否は審査されえないという結果が発生し、もし、神戸市等の職員であれば本件失職通知を受けた段階で行政処分としての当否が争いうるというこの差別性は制度の合理性自体をくつがえすものである。本件が失職通知を受けた時点での行政処分であれば、おそらく何人も免職を肯定しないであろう。失職が問題となりうる時点が昭和五二年五月であっても、昭和五五年二月に失職せしめる処分のときには一一年前の学生時代の行為を問題とするものであり、行政処分としての免職を肯定することはおそらく不可能であろう。

2、失職通知の法的意義

(一) 失職通知の原則的性格

失職通知について通説的解釈は法律上当然生じた法的効果を事実上通知するにすぎないとして、行政処分性を否定している。行政事件訴訟法第三条二項において、取消訴訟の対象とされている行政処分は、判例によれば「公権力の主体たる国または公共団体が行う行為のうち、その行為によって、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確立することが法律上認められているもの」(最高裁昭和三九年一〇月二九日判決、民集一八巻八号一八〇九頁)とされている。したがって、失職通知によって職を失った者が訴訟上争う方法は、失職に該当する事実の存否と本件上告人のように、失職規定自体の合違憲性のみであって、行政処分の場合のように、その処分内容の合違憲性等その実質的内容についての審査を求めることができない。この実質的内容の審査がなされないことについて、実体的デュープロセス違反を主張しているが、これは後に述べるとして、ここでは失職通知が意思表示ではなく事実上の通知であるが、しかし、特例条例が適用されるか否かの問題が発生した場合には、行政処分に変ずるという問題を検討する。

(二) 特例条例と行政処分性

右に述べた失職通知の原則的性格は、特例条例により失職の当否を任命権者の判断によらしめることとした場合には失職通知は行政処分と解されている。判例にあらわれた事例では名古屋市の条例において、「任命権者が情状により特に斟酌すべきものであると認定した事実を原因として法第一六条二号の規定に該当するに至った職員のうち、その罪が過失によるものであって、且つ刑の執行を猶予された者は、当該猶予を取り消されない限り、その職を失わない」と規定されていることについて、「以上の各規定からすれば、本件条例第八条は地公法第二八条四項の当然失職事由の除外事由を定めたものとしてこれを補充し、これと一体となる規定であることは明らかであるから、地公法で定める一般職の職員の失職は、地公法第一六条二号所定の欠格事由該当者のうち、過失犯であって刑の執行を猶予された者に限り任命権者の認定(情状により特に斟酌すべきものがあるか否かの認定)にかからしめていると解するのが相当である。してみると、任命権者が斟酌すべきものなしとの認定をすれば、当該職員は失職することになり、当該職員の身分関係に変動を生ぜしめることになるわけであって、任命権者のこのような認定は実質的にみれば行政処分としての性質を保有していると解せざるを得ない。そして任命権者のこのような認定が行政処分として、その効力を発生するには、当該職員に対し、その旨の意思表示をなすことを要し、本件失職通知は任命権者である被告のした右意思表示をも包含していると解されるから、本件失職通知はその点において行政処分としての性質を有していることは明らかである。」(名古屋地判昭四七年一一月八日判例時報六九六号一八五頁)

したがって、上告人が神戸市の職員であった場合を想定すると昭和五五年二月の段階で、失職にすべきかどうかの行政当局の判断の当否が司法審査されることになったはずである。

3、地方公務員間における差別性

以上のように特例条例の存否によって、法律上当然にいかに長年月が経過してもさかのぼって失職するのか、あるいは失職しなくてすむのか、または、行政当局が失職させる意思表示をして行政処分としたがその処分の当否の中味を司法審査してその妥当性を確定することができるかという極めて大きな差異が生ずる。本件では兵庫県と神戸市の職員との比較では失職するかしないかという重大な差異が生ずる。労働者がその職業を失うか否かは死活の問題であり、免職の問題では多くの判例においても「極刑」という言葉を使用しているように、このような極刑という結果が生ずるのか、それとも職を維持して生活ができるのかという差異は不合理な差別であって放置されるべきではありえない。原判決の引用する最高裁判例は「事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱いをすることは、なんら右条項(憲法第一四条)の否定するところでない」と述べているが、では同じ地方公務員どうしの間での右差別的結果はいったい何が合理的なのであろうか。

第四、自動失職制度の実体的デュープロセス違反(憲法第三一条)

一、はじめに

原判決は地公法第二八条四項が憲法第一四条一項に違反するものではないから、同条項に基づく失職措置は憲法第三一条違反ではないとし、上告人の述べたアメリカ合衆国において形成されてきた諸原則を「重要な参考資料」にとどめている。上告人が原審で主張してきたアメリカ合衆国での諸原則は実体的デュープロセスの判断基準であり「合理的関連性」や「反証を許さない推定の原則」は単に資格と刑罰という問題に限ってだされるのではなく、基本的人権の制限一般について、その制限が合理的か否かの判断基準として形成せられたものである。したがって、原判決が刑事訴追制度の我国と合衆国の差をもって、「我国にあてはめることはできない」と述べている点は失当であろう。

自動失職制度の問題は、基本的人権を制限する場合に審議されなければならないところの、「やむをえない」「必要最少限度」の制限であるのか否か、また、その制限をしている法律が「合理的関連性」原則にのっとっているのか、「反証を許さない推定」規定のために不合理な結果が生じていないかという実体的デュープロセスの原則に違反しているという点である。実体的デュープロセスに違反していないのであれば、法律上絶対的に生ずる失職の効果について手続的デュープロセスを導入して告知と聴聞を開いても意味がないことになる。第一審判決はこの実体的デュープロセスをまったく解することなく、法に基づく自動失職効果であるからデュープロセスに反しないという趣旨を述べているが、自動失職たる制度自体を不問にふせば、手続的デュープロセスによる告知と聴問など開いてもまったく意味のないことである。憲法の解釈においてアメリカ法において達成された諸成果を考察の内容にとり入れなければ古色蒼然たる公共の福祉論のやきなおしにすぎない。ここでまず、アメリカ法において達成された諸原則を確認し、日本の学説とそして、日本の判例の中にすでに内容的にはとり入れられていることを示し、司法判断の余地を残さない自動失職制度が憲法違反であり、同制度が実質的解雇と同じでありながら、私企業労働者の場合その解雇に関する司法判断をあおぐことのできることの対比において、公務員にとって非合理的な差別であり憲法第一四条にも違反することをあわせて論ずるものである。

二、実体的デュープロセスの諸原則

1、デュープロセスの原則は、英米法における長い歴史的発展の経過の中で公平、適正という普遍的価値をいかにして法的諸関係の中で機能させるかという英知と努力の中で形成されてきたものであるから、この原則は、ある特定の国家の特殊性の中で創設されたものであるとか、また、ある歴史的偶然によって発生したものではなく、社会の歴史的発展自体が形成した普遍的原則であり、それは絶えず、より完全な公平、適正の方向に向って発展せざるをえない原則である。従って、日本国憲法の解釈において、同第三一条のみによっては合衆国憲法と同様の解釈が困難と解される場合にも、他の普遍的諸原則(第一三条、第一四条)とオーバーラップさせながら、アメリカ法における発展を日本国憲法の解釈に取り入れることは十分可能であり、むしろ、それこそが生きた憲法の解釈というべきであろう。

合衆国におけるデュープロセス原則の発展について、特記されるべきことは、一九七〇年三月二三日の合衆国連邦最高裁判所における「ゴールドバーグ対ケリー」の判決である。周知のように、合衆国における裁判例において、憲法修正第一四条のデュープロセス条項が適用されるためには、Liberty又はpropertyといった確立された権利が行政行為によって侵害される場合でなければならないとされていた。いわゆる特権は対象にならず、権利が対象になるという特権、権利の二分論である。ところが、前記ゴールドバーグ対ケリー事件において、連邦最高裁は、国家の恩恵的施与行為と考えられていた社会福祉金給付に対しても、個人の重大な利益が侵害される場合には、それに先立って憲法上のデュープロセスが保障されなければならないと判示した。そして、連邦下級裁判所においては、これまで不干渉とされていた刑事行刑手続についてもデュープロセスの原則を適用する判決が続出している。

これらの中で確認された諸原則は以下のとおりである。

2、合理的関連性原則

この原則はある事実により基本的人権が制限されるという法的効果をもたらす場合、基本的人権の制約は必要最少限度のやむをえない制限でなければならないという原則とあいまって、「ある事実」と制限をもたらす「法的効果」との間に具体的関連性がなければならないという原則である。歴史的にはアメリカ合衆国において、有罪判決を受けた者に対する職業禁止に関し、伝統的には抽象的一般的な関連性があればよいとするものであったが、その後具体的関連性を要求している。前掲のアイオワ州最高裁判決はこの原則を適用したものである。

本件にあてはめるならば、「禁錮以上の刑」が「公務の信用を毀損する」というためには、犯した犯罪の内容が公務の信用に敵対し公務と相容れないものであるという関連性が要求される。公職選挙法の規定は、選挙犯罪者について選挙権を否定しているが、これは選挙の公正自体を危殆ならしめる行為を行った者について最少限この基本的人権を否定するという具体的関連性をとり入れた規定をなしている。

3、反証を許さない推定の原則

この原則は、ある個人における特徴的事実をもって、その特徴から導き出されると推定された一定の性質ないし事実が存在しない場合でも、これらが存在するものとみなす規定がデュープロセスの実体的要件に反するという原則であり、連邦最高裁において発展させられた原則である。

地公法第一六条二号及び第二八条四項は、禁錮以上の刑に処せられたという事実により、公務の信用が毀損されるとの「反証を許さない推定」をしている規定としてデュープロセスに反する。前科により公務の信用が毀損され、適格性が問われるとしても、分限条項により反証の機会を与えて審査すれば足りる問題であって、自動失職の制度は不必要であるばかりか、著しく人権を制約するものである。

三、日本における学説・判例

1、宮沢説と古典的判決

宮沢説は、憲法三一条は、「アメリカ合衆国憲法にいう『妥当な法の手続』(due process of Law)を保障した規定(修正第五条および第一四条)と同じ意味に解される」「アメリカ合衆国憲法にいうdue process of Lawは公正な(fair)手続、あるいは「公正と賢明の最低限度の水準」を満足させる手続を意味すると解されるが、日本国憲法の『法律の定める手続』もそれと同じ意味と解するのが良識の命ずるところである」(宮沢憲法Ⅱ、法律学全集、四一五頁以下)と述べている。説によってニュアンスの差が存在するが、手続の適正のみならず、実体の適正さもおおむね主張されている。ただ、行政手続にも適用されるか否かについては、不適用説を除いては原則的適用説や、修正適用説、趣旨準用説等があり、なんらかの形で適用しようとしている。

一方裁判例では最も古典的かつ早い時期にでたものとして、いわゆる砂川事件第一審判決がある(昭和三四年三月三〇日判決、東京地裁、下級刑集一巻七七六頁)。この判決は日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定に伴う刑事特別法違反において、同法違反の刑罰が軽犯罪法と比較して重刑であることに関して、「しかして、両者間の刑の軽重をみるに、軽犯罪法は拘留又は科料(情状により刑を免除又は併科し得る)を科し得るに止まるのに対し、刑事特別法第二条以下の懲役又は二千円以下の罰金若しくは科料を科し得るのであって、後者においては前者に比較してより重刑をもって臨んでいるのであるが、この差異は法が合衆国軍隊の施設又は区域内の平穏に関する法益を特に重要に考え、一般国民の同種法益よりも一層厚く保護しようとする趣旨に出たものとみるべきである。そこでもしこの合衆国軍隊の駐留がわが国の憲法に何等抵触するものでないならば、右の差別的取扱は敢えて問題とするに足りないけれども、もし合衆国軍隊の駐留がわが憲法の規定上許すべからざるものであるならば、刑事特別法第二条は国民に対して何等正当な理由なく軽犯罪法に規定された一般の場合よりも特に重い刑罰を以て臨む不当な規定となり、何人も適正な手続によらなければ刑罰を科せられないとする憲法第三一条及び右憲法の規定に違反する結果となるものといわざるを得ないのである。」と述べている。

以上学説・判例をみると、原判決のようにアメリカ合衆国における諸原則を単に他国の事として無視することは妥当ではない。手続の適正のみならず実体の適正まで要求しているのが通説であるが、その場合アメリカ合衆国における実体的デュープロセス(substantive due proc-ess)が歴史的に最もすすんだ成果として認めざるをえないはずである。前記宮沢説もデュープロセスローを「公正と賢明の最低限度の水準」と解釈し、それと同じように解釈するのが、「良識の命ずるところである」と断言している。

刑事手続からの類推で考えても、刑事手続が合理的で適正であるためには

告知と聴聞、

実体要件を定める法律が漠然かつ不明瞭でないこと、

刑罰が犯罪と均衡を失していないこと、の以上が最低限必要とされているから、失職という公務員たる身分の剥奪においても、剥奪の原因となった行為と剥奪の結果に均衡がなければならないだろうし、そのための手続として告知・聴聞が意味のある制度として保障されなければならないはずである。

2、解雇や行政処分における諸判決

(一) 合理的(具体的)関連性原則

イ、砂川基地闘争「不名誉」解雇事件(最高裁・昭四九・三・一五判決、判例時報七三三号、二三頁)

(1) 事案の概要

日本鋼管川崎製鉄所の工員がいわゆる砂川基地闘争に参加し日米安保条約刑事特別法違反により逮捕・起訴され、会社は就業規則・労働協約所定の「不名誉な行為をして会社の体面を著しく汚したとき」に該当するとして懲戒解雇した事が争われた。第一審裁判所は解雇を無効と判断したが、その段階では刑事事件は無罪との判断がだされていたが、本最高裁判決時では有罪が確定していたが、第一審、第二審を維持して解雇無効の判断を下した。

(2) 判決

判決はまず「従業員の不名誉な行為が会社の体面を著しく汚したというためには、必ずしも具体的な業務阻害の結果や取引上の不利益を必要とするものではないが、当該行為の性質、情状のほか、会社の事業の種類・態様・規模、会社の経済界に占める地位、経営方針及びその従業員の会社における地位・職種等諸般の事情から総合的に判断して、右行為により会社の社会的評価に及ぼす影響が相当重大であると客観的に評価される場合でなければならない」として、会社の評価に対する悪影響を及ぼした事実を認定しながら「被上告人らの前記行為が破廉恥な動機、目的に出たものではなく、これに対する有罪判決の刑も最終的には罰金二〇〇〇円という比較的軽微なものにとどまり、その不名誉性はさほど強度でない」として解雇を無効と判断した。

(3) 評価

本判決の判断過程は、「不名誉性」の抽象的なあてはめを排し、犯罪行為の具体的内容と会社の名誉との具体的関連性を問題としており、「公務の信用性の確保」と「画一的な資格要件と自動失職」が合理的か否かの本件にとっても重要な判決である。

ロ、国鉄職員公務執行妨害罪解雇事件(広島高判・昭四五・九・二九、判例時報六一〇号、九一頁)

(1) 事案の概要

原告は山口県教組が文部省県教委共催の教育課程研究協議会の開催取止めを要求して展開した反対闘争に支援として参加し、職場付近における警察官との接触に際し、原告が採証活動中の巡査に抱きつき「こいつを巻き込め」と他の参加者に指示をしたというものであり、公務執行妨害罪により懲役六月執行猶予二年の判決を受け国鉄当局から懲戒解雇された事案である。

(2) 判決の内容

判決はまず職場外非行と懲戒の問題について「その非行の性質、態様に照らし、被控訴人の事業維持の立場からみて他の職員に悪影響をもたらし、ひいては事業内における秩序ないし労務の統制を乱すおそれが客観的に認められる場合に限る」と解し、職場外の非行は「それが事業内の秩序等に対して及ぼす影響が直接的でないだけに特に慎重な考慮が必要であって」犯情、企業内外の影響を考慮に入れても「控訴人を企業外に放逐する本件処分に付されなければならないほど悪質な事由とは到底解しえない」と断じた。

(3) 評価

本判決でも具体的事情と企業に及ぼす影響との具体的関連性を問題にしており、抽象的一般的要件のあてはめによる断罪をしていない。

(二) 反証を許さない推定の原則

禁錮以上の確定判決による懲戒解雇事件(熊本地八代支部判、昭四五・五・一三、判例時報六一六号、一〇〇頁)

(1) 事案の概要

争議に関連して新旧組合の対立に際し、分け入った警察官に傷害を与え、公務執行妨害罪により懲役二月執行猶予一年の確定判決を受け、就業規則上「刑罰法規に違反する行為をなし、禁錮以上の確定判決を受けたとき」に該当するとして懲戒解雇されたというものである。

(2) 判決の内容

判決は懲戒解雇事由に該当する事実があったとしても「それのみでは足らず、更に進んで原告の右違反行為が前述のような企業秩序維持の観点から、反省の機会を与えることなしに原告を会社より最終的に排除するのを相当と認めるに足る程度の重大性、悪質性を有するか否か」を具体的に判定すべきことを求め、さらに前記就業規則の規定の合理性の判断として、「交通人身事故による実刑判決と傷害による罰金刑の如く、禁錮以上の確定判決の場合が罰金刑以下の場合に比し、常に著しい反社会性、反規範性を有するものと直ちに断定できず」と述べ、懲戒解雇を無効とした。

(3) 評価と検討

非行と懲戒権との関連では既に掲記した判例と同旨である。注目すべきは「禁錮以上の刑」という要件について「交通人身事故による実刑と傷害による罰金」という対比において禁錮以上が必ずしも「常に著しい反社会性、反規範性を有するものと断定しえない」との判旨部分である。本件控訴人に対する原判決が「禁錮以上の刑」をもって直ちに「反社会性」を認定したが、その独断性について既に指摘しているが、本判例もその点を鋭く指摘し、本件資格要件の非合理性を根拠づけるものである。

(三) 以上若干の判例をみたが、前掲(一)イ、ロの各判例は合理的関連性原則を内味において採用している。イの判例は「当該行為の性質、情況のほか、会社の事業の種類、態様、規模…云々」と「行為による影響」とを具体的に検討して、合理的関連性を否定しているし、ロの判例は「非行の性質、態様」に照らし「事業内における秩序ないし労務の統制を乱すおそれが客観的に認められる場合」の有無を検討し、その関連性を否定している。このように、処分の中味を検討するときには我が裁判所は合理的関連性を問題にしている。

前掲(二)の判例は反証を許さない推定の原則を内味において採用している。この判決は就業規則上「刑罰法規に違反する行為をなし、禁錮以上の確定判決を受けたとき」の規定に該当することを認めながら、この規定に該当すれば企業から排除されるべき理由があると「反証を許さず推定」することを否定した。

以上のように、解雇や行政処分の実質審査においては、それを実体的デュープロセスとか、合理的関連性とか、反証を許さない推定原則とかの言葉を使用していないけれども、「公正と賢明」な実体的判断を我が裁判所は積みあげてきている。問題はこれらの内容が憲法と法律との関係で法律のその内容について審査する場合の基準として機能するかどうかが実体的デュープロセスの問題である。くりかえし述べてきたように、法律で最低限度の資格要件を定める合理的理由があるとしても、地公法第一六条二号に執行猶予者を含め、自動失職と連動して問答無用の資格剥奪、身分剥奪の制度は不合理であり憲法第一四条、第三一条に違反しているものと考えるものである。

第五、公務に就く権利性と前科による差別

一、はじめに

昭和六一年六月二八日の朝日新聞(東京本社版)「声」欄に千葉県習志野の四二歳の主婦の「生活の根底崩した一五年後の有罪判決」という投書が掲載された。

「息子の小学校の用務員Kさんは小柄の体に精かんさを宿した好人物であった。

子供たちと共に水を植え動物を育て、竹馬などを作りながら過ごした六年は、学校の枠を越えて地域社会にもとけこみ、少なからぬ功労を果たしたようであった。学校が一目で見渡せるわが家からは、ランニングに半ズボンで飛び回る彼の姿が手にとるように眺められた。飼っている蚕の繭から織物を織る計画も進んでいたという。

そのKさんが突然失職した。聞けば二十歳の時参加した成田空港の件で十五年後の今年五月、懲役一年六月執行猶予四年の判決が下り、地方公務員法により資格を失ったとの由である。十五年前の事件とはその後全くかかわりなく、現在は職務を誠実に果たしている。楽しく明るい学校であることの要素の一つに、彼の存在をあげる声も多い。私生活もつつましい。

早速復職を願う会が結成され、たとえ嘱託でも再任用出来ないかと署名カンパが続々集まっているという。それにしても法の裁きとは何か。いろいろな考え方があろうけれど、十五年目に生活の根底をゆすぶられるのはつらいことと思う。」

(雑誌「インパクション」四五号)

右投書における「法の裁きとは何か」という問いかけは胸に突きささるものである。右投書の事例は十五年目であるが、上告人の有罪判決が確定したのは八年後であり、自動失職になったのは一一年後である。今後さらに同様の事例が発生するであろう。

上告人が失職しなければならない原因たる行為を行ったのは、昭和四四年九月、二一才のときであり、昭和四七年四月臨時職員として兵庫県に採用され、同年九月本採用となり、昭和五二年五月一〇日懲役一〇月執行猶予二年の判決が確定し、昭和五四年五月一〇日執行猶予期間が満了して資格を回復し、昭和五五年二月に失職通知を受け、さかのぼって身分がないと宣言された。

右過程を社会常識的にみれば、一一年前の前科による断罪ではないだろうか。率直に問いなおして、このような結果をもたらす制度は何故に合理的なのであろうか。裁判中も執行猶予期間中も何変わることなく、図書館職員としてその職務を全うしてきた者が、何故排除されなければ「公務の信用を保持できない」のか。

二、執行猶予の意義

1、執行猶予の法的・社会的意義

執行猶予は犯罪の成立は確定されるが刑罰の執行を猶予し、猶予期間満了によって刑の言渡の効力がなくなるものであるが、これは、行為者人格に着目し、その更生と改善を実社会においてはかるものである。社会的には多くの場合無罪と同視する程度に非難性が減少する。猶予者の多くは一時の過ちであり、更生や改善の方向に進む人が圧倒的に多い。

2、社会における更生、改善の意義

社会において更生・改善が求められるという事は行為者人格の危険性が少ないからであり、生活の基盤が確立しておれば再犯に向かわないと期待された人格である。したがって、まず、原則として執行猶予者をあらかじめ社会の各部署から排除する制度は、執行猶予制度に敵対するものであろう。しかし、社会において果たす職務や役割の関係において一定の重要な責任と犯した犯罪の性質が相容れない事態が生ずることがありうる。

3、参考判例

有限会社マルヤタクシー解雇事件(仙台地判、昭六〇・九・一九、判例時報一一六九号、三四頁)

(一) 事案の概要

原告は従業員約一〇人、タクシー六台を保有する会社に運転手として雇用され、入社二年程して営業所副所長として従事してきたが、強盗や傷害など前科五犯、前歴四件を入社時履歴書に記載しなかったことが判明し通常解雇された。原告は入社時既に刑の消滅をきたしており、更生の意欲を助けようとする刑の消滅制度(刑法三四条の二)の趣旨からして過去の犯罪歴を秘匿したのは当然として争った。

(二) 判決の内容

判決は「犯罪者の更生にとって労働の機会の確保が何をおいてもの課題であるのは今更はいうまでもないところであって、既に刑の消滅した前科について使用者があれこれ詮索し、これを理由に労働の場の提供を拒絶するような取扱いを一般に是認するとすれば、それは更生を目指す労働者にとって苛酷な桎梏となり、結果において刑の消滅制度の実行性を著しく減殺させ同制度の指向する政策目標に沿わない事態を招来させることも明らかである」「労使双方の利益の調節を図るとすれば、職種あるいは雇用契約の内容等に照らすと、既に刑の消滅した前科といえどもその存在が労働力の評価に重大な影響を及ぼさざるをえないといった特段の事情のない限りは、労働者は使用者に対して既に刑の消滅をきたしている前科まで告知すべき信義則上の義務を負担するものではない」と解して解雇を無効とした。

4、右判決は刑の消滅制度の意義について述べているが、この趣旨は執行猶予の趣旨とも密接に関連をしている。地公法が執行猶予者をも失職対象に規定していることは、社会において更生をはかるという趣旨からも余りに広い不必要な制限と考える。

三、執行猶予と公務員資格

1、地公法一六条二号の非合理性

右に述べたように、執行猶予の意義からして、全ての公務員について画一的に執行猶予者まで資格を制限することは余りに広い不必要な制限として違憲である。この点については既に述べたとおりである。

2、公務員職務の拡大と資格要件

この問題についても既に述べたとおりであるが、執行猶予の刑事政策的観点からも執行猶予者を排除すべき理由はみいだしがたい。前掲判決も「犯罪者の更生にとって労働の機会の確保が何をおいてもの課題であるのは今更いうまでもない」と述べているように、公務員職務が単純労働やその他の現業労働部門に拡大した今日、現行資格要件は不合理な差別を国家自らが助長しているといわざるをえない。

地公法一六条二号は憲法一四条、三一条とともに、前科者の幸福追求権を否定し憲法一三条に違反すると考えられる。

第六、資格回復後になされた自動失職通知の効力

一、はじめに

資格回復後に失職通知がなされ、過去にさかのぼって、本件では二年八ヶ月前の時点で失職したという効力は何人も疑問を禁じえない。原判決後この点について労働判例の解説は次のように疑問を提示している。

「本件の特色は、本件失職通知が執行猶予期間満了後約八ヶ月後に、約二年八ヶ月をさかのぼってなされている点である。前記地公法一六条二号の規定からすれば、右失職通知の時点では、原告は前記各条項には該当しなかったものであるから、そのような形で失職通知をなすことは可能か、可能であるとしても、すでに八年近くにわたって地方公務員としての地位を保持し、公務に対して何らの影響ももたらしてはいなかった者に対して地公法二八条四項を適用することは憲法違反の問題は生じないか、なるほど、任命権者が有罪判決確定時にこれを知っていれば失職措置がなされていたはずで、その意味では、右時点で原告はその地位を失っていたとはいえるが、さかのぼってその地位を否認するということの法的意味はどのようなもので、それは果して可能か等の問題が生ずるのではなかろうか。そして、これらは、地公法の一律的規定に対する何らかの歯止めが考えられてもよい問題のようにも思われる」(労働判例、四三二号、六八頁)。

私企業において同種の事例を考える事はなかなか困難であるが、労働契約関係が当然に無効となった場合を想定して考えてみると、無効である期間については労働契約としては無効であるが提供された労務と賃金が不当利得の精算関係となり、無効原因が回復された後、引き続いて雇用されているとその時点で立派に雇用契約は成立している。この場合使用者が無効原因を知っているか否か、また、無効原因が回復されたことを知っているか否かによって結論は異ならない。公務員労働関係において、何故右同様の考え方ができないのであろうか。

二、地方公務員の任用関係

1、公法上の契約関係

一般に公務員の任用関係については、公法上の契約説と単独行為説(他に、相手方の同意を要する特殊の行為説)があるが、双方の合意によって成立する関係であるから、単独行為説は正しくなく、公法上の契約説が妥当である。公務員労働が私企業労働とほぼ同種の内容に至っている今日の現状からみて契約説がもっとも実体に適合しているであろう。

2、私企業の雇用関係成立との差異

地公法第一五条は任用の根本基準として「職員の任用は、この法律の定めるところにより、受験成績、勤務成績その他の能力の実証に基いて行わなければならない」とし、能力主義の原則を定め、第一七条乃至二二条で任用の方法等を定め、競争試験もしくは選考によるものとしている。私企業労働者の場合その採用に特別の方式等はなく、使用者の意思と労働者の意思の合致で契約が成立すればよいが、公務員の場合は能力主義の根本原則が満たされなければならないという差が存在する。しかし、この能力主義は能力が実証される事が充足されればよいわけで、競争試験もしくは選考によって可能であり、上告人については能力の実証がなされているものであるから、引き続き、もしくは、新たに任用する事に支障は存在しない。辞令という要式行為は公法上の契約の不可欠の要素ではない。

3、資格回復時点での任用関係の存在

昭和五四年五月一〇日に執行猶予期間が満了し、同月一一日に上告人は資格を回復し、図書館勤務の公務員としてその能力はなんら瑕疵なく実証されているのであるから、兵庫県当局が上告人を勤務せしめ上告人が勤務したという事実関係の存在により、任用関係はその時点において成立していると考えるべきである。この場合瑕疵が治癒されたと考える場合は継続となり、新たな成立を考えれば給与関係、退職金関係等全て新規の計算をしなければならない。本来二年間は失職していたわけであるから、新規の成立と考える方が妥当であろう。

三、失職の効力の及ぶ範囲

1、資格喪失による失職

上告人が公務員となる資格喪失期間は有罪判決の確定した昭和五二年五月一〇日から猶予期間満了の昭和五四年五月一〇日までであり、同期間内いかなる公務員に任用されようと無効であって失職する。したがって、いかに長期間経過後にわたっても資格喪失期間内の任用行為が無効であり、その間失職しているという効力は存在するであろう。しかし、新たな任用関係が資格回復後に生じたかどうかは別の問題である。

2、資格回復による新たな任用関係の成立

任用関係成立に必要な資格要件、任用関係の意思の合致、能力の実証という各要件のうち、上告人は資格要件喪失により失職したが、昭和五四年五月一一日以降右資格要件を回復したものであるから、右同日において任用関係が新たに成立したとみることはなんら無理な解釈とは考えられない。前記朝日新聞の声欄の投書のような事態について社会人は奇異に感ずるものであり、右解釈が妥当性を有するものと考える。

第七、適用違憲論

一、はじめに

以上本件地公法一六条二号、二八条四項について、その非合理性並びに矛盾点をるる述べたが、仮にこれらの諸規定が憲法に正面から違反するものではないとしても、本件の事案に機械的に適用することは誤った適用でありその適用自体が憲法違反であると考える。法の建前からすれば、採用前の段階で一六条二号によりチェックし、採用後の段階で右一六条二号に該当するに至れば自動失職となる考え方であり、本件のように、採用時においては全く抵触せず、採用から五年経過した段階で、その時点で八年前の行為の結果として右各法規に抵触するに至り、その後三年後の時点で遡って自動失職となるという如き事態はそもそも法の予測した事態とはいいがたい。この遡っての失職論は、理論上はいかに長期にわたろうと「無効」は永久に「無効」論によって治癒されることがないという事になる。第一審判決もかなり長期にわたった場合には再考の余地があるような記載をなしているが、そもそも本件のような場合に機械的に適用する事自体が誤りであるというべきである。つまり、本条項の適用ではなくて、分限による措置の問題として処遇されなければならない事案というべきである。

二、法の目的と本件適用の矛盾

1、本件地公法各法条が守らんとしている法益は公務の信用を保持する事にある。では、公務員として五年間その職務を遂行している段階で、八年前の行為の結果によりなぜ、公務の信用を害するのか。さらに本件では一一年後の失職措置であるが、いったいいかなる公務の信用が害されたのであろうか。在職中に本件行為を行い刑罰に処せられた場合には、行為者本人が公務員たる地位を有しているのであるから、その行為と公務の信用との関連性が明確になるが、本件の場合に公務の信用を害したという行為は一体何であるかが問われなければならない。

2、前記、具体的関連性原則、反証を許さない推定原則の項で詳細に述べたように基本的人権を制限する場合の法原則を最大限尊重して本件の適用を考える場合、瑕疵なく採用された後、採用前の行為を原因として本件各法条に該当するに至った場合、それは行為と公務の信用性との具体的関連性を有さずよって本条項の適用はなく、分限による措置が適用されると考える事が正しい解釈である。

3、この解釈によって、いわゆる遡って公務員の身分を否定するという無謀な結果をまぬがれることができるし、分限による処分であれば、その妥当性が具体的に審議され、反証を許さない推定の原則をクリアーすることができる。本件と同じような事案が生じた場合、多くの自治体は黙認しているか、もしくは、再採用手続をとるなどということにより妥当な結果を招来しているが、本件では被上告人が上告人の組合活動を嫌悪して、本条項を機械的に適用して上告人を放逐したものでありこれらの点からも本件各法条の適用は不当なものである。

第八、むすび

以上詳細に述べたように地公法第一六条二号、二八条四項は憲法一三、一四、三一条に違反して無効であり、仮に無効でなくとも本件事案への適用はその解釈を誤り適用違憲の結果をもたらすものであって、すみやかに原判決を取消し、さらに慎重なる審議を求めるものである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例